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2010年8月になり、

6月、7月にあれほど降っていた雨が止まり、

晴天続き。

 

雨が少ないとトマトは病気にかからないけど、

ナスも瓜も大きくなりません。

本当に暑い夏です。

今回は、わき道にそれず、

8号線をはしりました。

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2010年の夏は、高気圧が強く

太平洋の綺麗な空気が流れ込み

空が、綺麗な色をしています。 

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パーキングで休憩していると、

夕焼けにあえました。

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製造元の日清食品株式会社さんより

商品代金の返金として郵便小為替と、図書カードが、

送られてきました。

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タイムカンを私も持っていました。

そろそろ食べようかと思っていたところです。

 

ニュースや新聞広告等で、回収している事を知り、

回収先へ、送りました。

少し残念。

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敦賀から8号線を琵琶湖に沿うように走ると、

賤ヶ岳の近くをとおります。

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賤ヶ岳七本槍で有名な場所です。

天正11年1583年羽柴秀吉、約5万と

柴田勝家、約3万の合戦がおこなわれ、

勝者の羽柴秀吉が織田信長の後継者になる戦い。

 

本当は、七本槍に数えられていない

石田三成のほうが、前哨戦から戦功は大きいという説もあります。

わたしも石田三成の評価が低いような気がします。

関ヶ原の戦いで負けたのが低評価の原因でしょうか。

その後、国道8号線を走り越前海岸へ

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迷走のあとの海岸沿いは、曇天。

気を取り直して、パンに牛乳。

一息いれて一気に敦賀をぬけ

琵琶湖の最東端。

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国道161号も何度か走っているので、

琵琶湖の周囲は間接的に一周はしています。

 

今回は、迷走のあと無難に国道8号線を帰りました。

ナビが有るからって、無理なルートは危険です。

7月の上旬まだ梅雨のまっただなか

金沢を通過したあたりまではいつもの配達の帰り道。 

ふと思い立って、国道8号線をはずれて別ルートから福井県に抜けようと

試みたところ、見事に迷いました。

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カーナビも健在ですが、道が狭い。

車体が6mの中型車、行きたい方向に簡単にいけない。

何とか、永平寺の付近にたどり着き、

北陸道の福井北インター近くで国道8号線に合流。

一時的に天気がよかったのが幸い。

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20尺(6メーター)末口直径5寸(15センチ)の杉桁丸太

二本の荷造りです。

丸太の末口からダンボールで、キズがつかないように、

包んでいきます。

 

とても良質な杉丸太です。

良い商品はありそうで、少ないんです。

直接会う機会はなかなか無いですが、

お客様にも喜んでいただけると思います。

山の仕事で、危険なのは

ケガに、熱中症などの体調不良。

漆などの炎症をおこす植物。

そして、毒をもった生物です。

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中でも、ハチは危険です。

写真はアシナガバチ。山で一番よくみかけるハチです。

刺されると痛いです。

手がグローブみたいに腫れることもあります。

 

マムシも恐ろしいですが、遭遇率は断然ハチです。

スズメバチなどの大きな巣は、マムシ以上に

命の危険があります。

今年は雨が多いので、ハチの巣は比較的高い場所に

巣作りしています。

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細い桁丸太の配達の途中です。

あいにくの雨。

何度か商品の荷崩れをしないように

確認をしますが、雨ふりだと特に念入りに

チェックしないとダメです。

今年、2010年の梅雨は激しい雨が多いです。

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琵琶湖の近く、北陸道と中仙道の要衝の地に小谷城は位置します。

城跡へは、徒歩で登っていけるそうです。

配達の途中なのであまりサボってはいけないので、登るのは又の機会にします。

 

小谷城は元は京極家に属していた浅井亮政のときに本格的な築城が始まったようで、

初代城主といえます。

二代目は久政、三代目は長政まで城の増改築が繰り返されます。

浅井長政は、織田信長の義弟でありながら、

1570年に姉川の戦いで、信長と対戦、

1573年の小谷城の織田家の総攻撃まで、城を堅守。

岐阜(稲葉山)城などにくらべると、山の高さは低く感じますが、

守りの堅い城だったようです。

鳥取県の龍見台です。

日本海に臨む国道9号線沿いの高台です。

梅雨の晴れ間、南国の海を思わす海水の色です。

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天気がいいいと、海沿いの運転は気持ちがいいです。

配達で、手取川を通りました。

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手取川の戦いがあったのは、天正5年9月23日。

1577年の現在の11月

加賀国の手取り川において、

上杉謙信軍2万が織田軍、柴田勝家率いる1万8千を撃破した戦い。

 

その後、織田軍は一時撤退するも、上杉軍も謙信公が病死して、

上杉家もお家騒動が始まり、本能寺の変まで織田家の侵攻を防ぐことはできず。

 

「武田信玄、上杉謙信ともにもう少し生きていれば、歴史は変わっていたかもしれない。」

と、思うのは歴史好きの悪い癖。

あまりにもタイミングよく信玄、謙信ともに亡くなっているので、暗殺説も諸説を聞きます。

毎年、軒先に田植えの時期にツバメがやってきます。

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五月ごろはまだ小さかった雛が、

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六月も終わりに近づくと、親鳥と変わらない大きさに。

糞を落としたりとなかなか迷惑も掛けますが、

かわいいです。

夏もすぎれば今年もまた無事に旅立てそうです。

大和宇陀松山藩の初代藩主

織田信雄は1558年織田信長の次男として生まれる(諸説あり)。

信長が本能寺の変でなくなると、豊臣秀吉、秀頼、徳川家康と主君をかえつつ、

1614年大坂冬の陣の直後の1615年家康より上野国甘楽郡とともに

大和宇陀松山を賜り松山藩初代藩主となる。

 

信雄は、武将としては暗愚さがめだつが、能の名手で、

文禄2年1593年に秀吉主宰の天覧能でも能を舞っている。

(ほたる能に参加するたびにそのことが思いうかびます。)

 

後に信雄は京都に隠居。上野小幡藩は四男信良が継ぎ、

大和宇陀松山藩は、五男高長が継ぐ。

その後お家騒動などの末、

高長の子孫が織田信長の七男の系統の子孫へ養子にいくかたちで、

高良系統の子孫が現在まで織田家の血筋をのこし、

フィギアスケートの織田信成選手はその子孫。

平成22年6月19日宇陀市大宇陀区の阿紀神社で、恒例のほたる能がもようされました。

日も暮れ、かがり火に明かりが点くと、境内の舞台で能の始まりです。

織田家ゆかりの地だけに、幕には織田(五葉)木瓜の紋です。

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商工会青年部も設営の準備や地元物産販売に参加です。

今年は、小雨振る中でしたが蛍も舞い飛んでくれました。

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船上山が、休憩中の駐車場から見えます。

中国地方の大山山脈系の山です。

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もちろん配達の途中です。

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お天気がいいので、山を見ながら昼食です。

晴れだと車の運転が気持ちいいです。

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2010年も6月です。

寒冷な宇陀・吉野地方も水がぬるみ

オタマジャクシが水田をところせましと泳いでいます。

周辺の木々も日の光ををあびて元気そうです。

 

夏は、基本的に杉や桧は伐採しないので、

山林は草刈中心の管理シーズンです。

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食用のエンドウ豆を小さくした姿をしています。

実も小さいサヤがみのり、小さな種がなります。

ツル植物で、繁殖力も旺盛で、草刈のときは困ります。

 

杉の苗木なんかは、からめとられ曲がってしまいます。

紫の小さな花が咲いて可愛いのですが、

草刈の際には、本当に困ります。

3mと4mの末口18センチ(6寸)桧丸太の

仕上げ作業です。

水洗いのあとは、ダンボールで包装して出荷します。

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自然の丸太材を商品としてあつかう仕事です。

同じサイズの丸太を揃えるのは、

腕の見せ所でもあり、

本数が増えるほど、実は難易度が上がります。

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吉野を中心とした山林地域に生産拠点を置く木材メーカーです。
木材のなかでも、「磨丸太・絞り丸太・桁丸太」を生産販売しています。
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HP担当者 葛本哲雄

葛本哲雄(クズモトテツオ)

奈良県立香芝高等学校卒業
阪南大学卒業
数年間のサラリーマン生活を経て現在に至る。営業とHPを主に担当。歴史小説が好きで、よく読んでます。最近は三国誌関連の本が増えて嬉しい。

葛本林業

住所

〒633-2142
奈良県宇陀市大宇陀田原886