

前々から、キリシタン大名で有名な高山右近の生誕の地が
市内にあると聞いていたのですが、正月休みを利用して、
宇陀市榛原、沢城跡(沢山)のふもとにある「右近の碑」を見にいってきました。
高山右近は父の友照の子として、天文21年(1552年)に沢城で、
うまれ、父がキリシタンだった影響もあり12歳(1564年)のときには、
洗礼を受け「ジュスト」=「正義の人」の洗礼名をなのる。
高槻城主、明石城主と戦国大名として成長していく一方、
千利休の茶の湯の高弟七人「利休七哲」の一人でもある。
後に戦国末期からキリシタンの禁令が秀吉によって出されると、
前田利家・利長のもとで庇護を受け追放の身でありながら、
武将として活躍。
徳川の世になると、慶長年間に堅信ゆえに国外に追放され、
マニラへ渡海するもその地で永眠。
そんな高山右近の生誕の地が市内にあるのはなんだか
不思議な感じです。